先日、知人と一緒にりんごを描きました。
目の前にあるのは、同じりんごです。
ところが、出来上がった絵を並べてみると、当然ながら同じにはなりません。
形の取り方も違えば、色の捉え方も違う。
どこをよく見て、どこを省略したのかも違います。
帰宅してから、今度は娘にもりんごを描いてもらいました。
すると、また違うりんごが出来上がりました。
考えてみれば当たり前のことなのですが、少し不思議でもあります。
私たちは「りんごを見ている」と言います。
でも、本当に同じものを見ているのでしょうか。
「りんご」という言葉なら、同じになる
言葉にしてしまえば、どれも「りんご」です。
赤いりんごも、青いりんごも、少し形の悪いりんごも、私たちは「りんご」という一つの言葉でまとめることができます。
言葉はとても便利です。
一方で、言葉にした瞬間に消えてしまう情報もあります。
表面の小さな傷。
微妙な色むら。
少し傾いた軸。
左右非対称の輪郭。
絵にすると、それらをそのまま残すことができます。
逆に、描く人が何を見ていたのかまで、少し見えてきます。
同じものを描いたはずなのに違う。
それは絵が不正確だからではなく、人によって「どこを見ているのか」が違うからなのかもしれません。
「わかりやすくする」とは何だろう
このことは、私たちが普段行っている医療・サイエンス分野のイラスト制作にもつながっています。
たとえば、非常に細い医療機器を説明するとします。
実物をそのまま正確に描けば、それで伝わるとは限りません。
内部構造を説明したいのであれば、実際には見えない部分を見せる必要があります。
手技を説明したいのであれば、重要でない情報を省き、器具と人体の位置関係を強調した方が理解しやすいことがあります。
つまりイラストレーションでは、単純に「見たものを正確に描く」だけでは足りません。
誰に、何を見てもらいたいのか。
そこを考える必要があります。
でも、説明しすぎてもいけない
最近、もう一つ気になっていることがあります。
それは「わかりやすくすること」が、いつでも良いことなのだろうか、ということです。
図解して、色分けして、矢印を入れて、アニメーションで動かす。
私たちの仕事には、情報をわかりやすくする方法がたくさんあります。
けれど、すべてを説明してしまえば、見る人自身が「これはどうなっているんだろう」と考える余地までなくしてしまう可能性があります。
わかりにくければ伝わらない。
しかし、わかりやすすぎれば、自分で考えなくても「わかったような気持ち」にはなれる。
この境界は、案外難しいものです。
イラストは「見る場所」をつくるもの
最初のりんごに戻ります。
同じりんごを前にしても、人によって見ているところは違いました。
だとすれば、イラストレーションの役割は、単に物をきれいに描くことだけではないのかもしれません。
複雑な対象の中から、
「ここを見てほしい」
という場所をつくる。
そして、そこから先は見る人自身に考えてもらう。
そんな「見るための設計」も、イラストレーションの仕事なのではないかと思います。
医療や科学のように、正確さとわかりやすさの両方が求められる分野では、特にこのことが重要になります。
何を描くか。
何を省くか。
何を強調するか。
そして、どこまで説明するか。
目の前のりんごを描いてみただけなのですが、そんなことを改めて考えるきっかけになりました。

