― イラストレーションと、私たちが見ている世界 ―
先日訪れた「笹本晃 ラボラトリー」という展覧会をきっかけに、物事の境界や、2次元と3次元の違いについて考える機会がありました。
洋服は、いつ洗濯物になるのか。
ドーナツの穴は、内側なのか外側なのか。
普段はあまり疑問に思わないことでも、少し立ち止まって考えてみると、私たちが当たり前だと思っている物事の捉え方は、意外と曖昧なものなのかもしれません。
そんなことを考えているうちに、私たちが日々行っているイラストレーション制作についても、一つの疑問が浮かんできました。
そもそも、私たちは何を描いているのでしょうか。
見えていることと、理解していることは違う
例えば、一本のカテーテルがあるとします。
医療現場で使用される、細長い管状の医療機器です。
その外観を正確に描くことは、写真や実物を参考にすれば、ある程度可能です。
しかし、そのカテーテルが体内でどのように配置され、どのような仕組みで機能するのかを説明しようとすると、話は変わります。
血管の内部は、外から直接見ることができません。
カテーテルの内部構造も、外観だけでは十分にわかりません。
さらに、血液の流れや器具が動作する過程など、形として直接見ることのできない現象まで説明しなければならない場合もあります。
私たちは、こうした情報を伝えるために、血管を切り開いたり、器具を透過させたり、流れを矢印で示したりします。
つまり、実際には見えないものを、見える形に置き換えているわけです。
ところが、ここで少し不思議なことが起こります。
現実には存在しない断面や、実際には見えない矢印を描くことで、かえって構造や仕組みが理解しやすくなるのです。
現実をそのまま描くことが、必ずしも現実を最もよく伝える方法ではありません。
これは、イラストレーションの面白いところだと思います。
描かれていないものも、そこにある
3次元のドーナツを、2次元の紙に描くことはできます。
しかし、一枚の絵に描かれたドーナツには、見えていない裏側があります。
それでも私たちは、描かれていない部分にも立体が続いていることを理解できます。
おそらく私たちは、目に入った線や色だけを見ているのではありません。
これまでの経験や知識をもとに、見えていない部分を補いながら、頭の中で立体や構造を組み立てています。
つまり、一枚の絵を理解するという行為には、見る人自身の経験や想像力も関わっています。
ただし、ここには注意すべきこともあります。
見る人が不足している情報を補ってくれるということは、逆に、誤った理解を補ってしまう可能性もあるということです。
描き手が当然だと思って省略した部分が、見る人にとっては重要な情報かもしれません。
また、わかりやすくするために強調した形が、実際の構造について誤解を生むこともあります。
何を描かなかったのかも、何を描いたのかと同じくらい重要なのです。
イラストレーションは、現実を編集している
医療・科学分野のイラストレーションでは、実物をそのまま描かないことがよくあります。
顕微鏡でしか確認できない構造を大きく描く。
非常に細い器具を、わかりやすくするために少し太く表現する。
複雑な構造の一部を省略し、理解してほしい部分だけを強調する。
こうした表現を、単純に「現実と違うから間違っている」と考えることはできません。
何を説明するための図なのかによって、必要な表現は変わるからです。
しかし、どのような変形や省略でも許されるわけではありません。
例えば、医療機器の構造を説明するイラストで、実際とは異なる接続関係を描いてしまえば、誤った理解につながります。
目立たせたい部分を強調することと、存在しない機能を持っているように描くことは、まったく違います。
つまり、イラストレーションでは、現実のすべてを描く必要はない一方で、伝えるべき関係性や仕組みを損なってはいけないのです。
そう考えると、イラストレーションは現実を単純に写し取るものではありません。
複雑な現実の中から、理解に必要な情報を選び取り、整理し、再構成する。
言い換えれば、現実を「編集」する行為なのだと思います。
見えないものを描くことの危うさ
そして、もう一つ考えておきたいことがあります。
見えないものを見えるようにすることは、必ずしも良いことばかりではありません。
例えば、まだ十分に解明されていない生体内の現象を、非常に精密な3DCGで描いたとします。
質感も美しく、立体感もあり、まるで実際に撮影した映像のように見えるかもしれません。
ところが、その一部が仮説に基づいた表現だった場合、見る人はどう受け取るでしょうか。
表現がリアルであるほど、そこに描かれたすべてが確認された事実であるかのように感じてしまう可能性があります。
科学や医療のイラストレーションでは、特に注意が必要です。
確認された構造なのか。
実験結果から推定された現象なのか。
理解を助けるための模式的な表現なのか。
必要に応じて、その違いを明確にしておかなければなりません。
見えるように描いたものが、必ずしも「見えた事実」とは限らない。
この違いは、忘れてはいけないと思います。
一本の線は、何を意味しているのか
イラストレーションでは、一本の線にも意味があります。
物体の輪郭かもしれません。
断面を示す線かもしれません。
あるいは、実際には存在しない区切りを、理解しやすくするために設けた線かもしれません。
見た目には同じ一本の線でも、意味するものは異なります。
そもそも現実の世界には、輪郭線として見える境界ばかりが存在しているわけではありません。
それでも私たちは、輪郭を描くことで物の形を認識しやすくします。
本来は連続しているものを分けたり、見えない構造に線を与えたりする。
イラストレーションは、こうした人間の認識の仕組みを利用した表現でもあるのでしょう。
見えないものを、理解できるものへ
私たちは普段、できるだけ「わかりやすい」イラストを制作しようと考えています。
しかし、改めて考えてみると、「わかりやすい」という言葉も簡単ではありません。
情報が少なければ、わかりやすいとは限りません。
リアルに描けば、正確に伝わるとも限りません。
美しく描けば、理解が深まるとも限りません。
大切なのは、
何を伝えたいのか。
誰に伝えたいのか。
見る人は何を知っていて、何を知らないのか。
ということです。
そこを考えて初めて、どこまで描くのか、何を省略するのか、何を強調するのかが見えてきます。
イラストレーションの役割は、見えないものをただ見えるようにすることではなく、理解できなかったものを、理解できる形にすることなのかもしれません。
そのためには、描く技術だけでは足りません。
まず、描こうとしているものを理解する必要があります。
描く前に、考える
洋服は、いつ洗濯物になるのでしょうか。
ドーナツの穴は、内側なのでしょうか、外側なのでしょうか。
そして私たちは、何を見て、何を理解しているのでしょうか。
どれも簡単には答えの出ない問いです。
けれども、こうした疑問を持つことは、何かを表現するうえで大切なことだと思います。
見えているものを、そのまま信じるのではなく、少し疑ってみる。
当然だと思っていた分類や境界について、もう一度考えてみる。
そうすることで、これまで見えていなかった関係性や構造に気づくことがあります。
私たちが行っているイラストレーション制作も、そんなところから始まっているのかもしれません。
描くことは、単に形をつくることではなく、物事を理解しようとする行為でもある。
今回の展覧会を通じて、そんなことを改めて考えました。

