先日、大阪の国立国際美術館で開催されている「笹本晃 ラボラトリー」を再び訪れました。
さまざまな展示の中で、特に印象に残ったのが、洋服と洗濯物についての話です。
たとえば、朝、きれいなシャツを着て出かける。
一日を過ごし、帰宅してシャツを脱ぎ、洗濯かごに放り込む。
すると、その瞬間にシャツは「洋服」から「洗濯物」へと変わります。
ところが、翌朝、着る服がないことに気づき、昨日のシャツを洗濯かごから取り出して、もう一度着ることにしたとします。
すると、さっきまで洗濯物だったシャツが、再び洋服に戻ってしまいます。
おかしな話です。
シャツそのものは何も変わっていません。
もちろん、一日着れば汗や皮脂などで少しずつ汚れます。しかし、洗濯かごに入れた瞬間に、突然その性質が変化したわけではありません。
それなのに、私たちは何の疑問もなく、そのシャツを洗濯物として扱います。
いったい、いつから洋服は洗濯物になるのでしょうか。
境界線はどこにあるのか
物事には、はっきりとした境界があるように感じます。
きれいなものと汚いもの。新しいものと古いもの。使えるものと使えないもの。
しかし、よく考えてみると、その境界は意外と曖昧です。
シャツの汚れは時間とともに少しずつ増えていくのに、私たちはある瞬間に「これは洗うものだ」と判断します。
その判断を取り消せば、同じシャツは再び着るものになります。
つまり、変化しているのは物体そのものだけではありません。
私たちの認識や、その物に与えた役割も変化しているのです。
哲学的には、物の存在や分類、文脈によって変わる意味の問題として考えることができます。
ただ、難しい言葉を使わなくても、洗濯かご一つで十分に考えさせられます。
私たちは世界に線を引いている
人間は物事を理解するために、さまざまな分類を行います。
それは決して悪いことではありません。
複雑な世界を整理し、理解し、他人と共有するために必要な行為です。
しかし、本来は連続的に変化しているものを、便宜的に二つに分けている場合もあります。
そして一度分類してしまうと、そこに明確な境界があるように感じてしまう。
実際にはグラデーションのようにつながっているものを、白か黒かで考えてしまうわけです。
今回の展示を通じて、そんな当たり前の認識について改めて考えさせられました。
イラストレーションもまた、境界をつくる仕事
この話は、普段私たちが行っているイラストレーション制作にも通じるものがあります。
イラストレーションでは、複雑な構造や現象を、誰にでも理解しやすい形に整理して表現します。
例えば、目に見えない身体の内部構造や、医療機器の動作、科学的な現象などです。
そこでは、何を描き、何を省略するか。どこまでを一つのまとまりとして表現するか。どの部分を強調するか、といった判断を繰り返します。
つまり、イラストレーションもまた、物事の間に線を引く行為なのだと思います。
もちろん、正確に区別しなければならない境界もあります。
しかし、すべてを明確に分けてしまうことで、本来は連続している変化や、物事の関係性が見えなくなってしまうこともあります。
正しく描くことと、正しく理解してもらうことは、必ずしも同じではありません。
だからこそ、何を伝えるために、どこに線を引くのか。
その判断が、イラストレーションの大切な役割の一つなのだと感じます。
洗濯かごから始まる思考
たった一枚のシャツから、ここまで考えが広がるとは思いませんでした。
洋服はいつ洗濯物になるのか。
その問いに、必ずしも一つの正解があるわけではありません。
むしろ、普段は疑いもしない境界について考えることそのものが面白いのだと思います。
見えているものを、そのまま受け取るのではなく、少し違う角度から眺めてみる。
普段の制作でも、そんな視点を大切にしていきたいと感じた展覧会でした。
展覧会情報
「笹本晃 ラボラトリー」
国立国際美術館(大阪・中之島)
会期:2026年7月19日〜11月3日
公式サイト:https://www.nmao.go.jp/events/event/20260719_sasamoto-aki/
※本文は展覧会を鑑賞して感じたことをもとにした個人的な考察です。

